なにげなくあなたに潜むヒラサワススムイズム

ゆううつになると5日が1日になる説

間があいてしまった

Vtuberのアキくんのアーカイブでボカロをうたっていたので
シャルルのバルーンとジェンガを聴いた

よすよす

・頼んでいた「ラカン精神分析」が届く
最初のほうを面白く読んだ。
しかしこの本でさえ、講談社現代新書はものたりなくなっている。
ちくま新書がすこだな

P.S.ぼくは、アスノヨゾラ哨戒班おしです

なぜあの人はボクなのか

中谷さんの最初期のダイヤモンド社から発刊されているなぜシリーズがいい。

2008年くらいにも同じくなぜシリーズがダイヤモンド社からでているのだが、
やっぱ最初期から学ぶほうが多い。

固有名がおおいことと、まだ中谷さんのポジションがかたまっていないので
とても初々しくオモシロイ。

もうひとつ渡辺和子シスターの本も4冊かった。

置かれた場所で咲きなさいとか題名だけでご飯512810杯いけるほどだったのだが、
よくよく考えるとその前からしっかりとしたご著書があったのである。

80歳手前くらいで大ベストセラーを出されいるあたり、
それまでコツコツなさっていたんだろうという面影がみえてとてもうれしく思うのである。

ありがとう和子シスター。

朝は書きたい気持ちになって

第三の審級が必要である。
またの名をフィードバックという

ツイキャスもちょっとやってみたりしたが
文章のようには蓄積しないからちょっと違う

いっぽうで、文章の有用性と必要性を感じてはいたのだが、いかんせん書くことに
体が慣れなくてなんのかんのと二の足をふんでいた

スピード信仰があったのである。

しかし、ススムヒラサワの音楽やインストの曲を聞いたりしながら
カタルシスの重要性と頭の中の整理は書くことでしかまとまらないということを再三認識したので
今日も書いている

はじめは、小さい日記帳に書き始めたのだが、
備忘録といういい言い訳のことばを見つけたので、今かいているのである

そう、もっと自由にやっていいんだよなと自分を説得したのである。

やっぱり大義名分は必要悪だよ。
なんてね。

とりあえず長い文章をかけるようにしていきたい

かきたいことを自由に書いていくこと

かきたい環境で書いていくこと

いきなりまとまった文章なんてかけやしない

それでいいんだと。

そう思っている。

結論づけるのも後回しにして

かきながらどこにいくかもわからない

それが、地味ながら自由なんだと

スケールの大きいことができるんだと

かんたんなカタルシスオブレトリックでは次の答えを求めてしまう

だから、その導出に命をのせていこうと思う

そういうことです。

貢献について

共有から貢献へ

本田直之さんのコントリビューションという考え方は先駆的であった。

どんな聖典も自分がふたたび語りなおすことにはなさらない

過去のやきなおしなのはじゅうじゅう承知している

だけれどもかきなおさなければわからないことばかり

すすんでいかないことばかりなのだ

自分であくまでまとめなくては

できあいのものではまにあわなくなっている
学びの段階として

なにをまとめるかというと別に意識してこなかったから
でてこないのだが

信仰について
キリスト者について

思い付くことはある

エッセイのような

そこまでまとめられなくても

日誌のような

オレのカイエをつくるのだ。