求めているもの

わかりたくてわかりたくない。

自分のほしいもの。

わかってしまうと手に入れるのに努力する必要が出てくる。

わからないなら青い鳥でいられる。

栄光を手に入れるには乗り越えるべき山がありすぎて

尻込みしている。

知ったならやらないといけなくなる。

ほんとうをいうとおれは何もしたくないのかもしれない。

でもそこでとどまっているのは悪というかもったいない気がするから

そういう心象をブログに書いて売文している。

どこまでいけるか。

どこまで書けるかに

等しい。

そう思う。

おれの理想形

お金のことを気兼ねなく使えるだけ稼げるキャッシュポイントを求めている。

メンヘラのレールを驀進していたが、病気をオープンにして働くのを目標にしている。

ほんとうは、なにもやりたくないのだがw

30の今やらないとほんとうに手に入れられないものが出てくると思う。

そこに注意している。

誕生日まで3ヶ月切っている。

兜の尾を締めよう

成功とはなにか?

まず、成功という言葉を乱発している本は気をつけたほうがいい

概念的な話でおわりがち

自己啓発の常套手段

その成功は、あなたが実際に求めているものと違うだろう。

 

成功という名でなにがほしいのか

お金か?

地位か?

名誉か?

 

そういうものは日々変化しているし

本で一概に書けるようなものでもないと思う。

成功病だ。

気をつけよう

言葉をともに

まだメンタルが安定していないから

メンタルのことを正面からは書けないでいる。

ただ、それでも今書けることはあると思う。

メンタルのエントリに需要があるのかわからんが

まず終始一貫した文章を書く練習をしなけりゃな。

 

 

今日の〆

休みはいい。

自分を見直すことができるから。

最近ニコ動もみる時間が減った。

ユーチューブが少し増えた。

自由になる時間はトータルで増えた

時間持ち爆誕

その時間をできるだけ文章化に回したい。

自己の内奥にはまだ秘められた鉱脈があるだろうから。

今日はブログ充実すなわちブロ充した一日でした。

 

ありがとうございました。

現実逃避だ。

自己啓発やビジネス書は現実逃避だった。

今でもそうやって読むことはある。

ただ安心を求めていた。

それに気づいたからといって本を読むのは止めないだろうが。

なんとか消化してブログ記事にしてやろうという気概がある。

そんな感じ。

モードに乗るということ

言葉の世界

読むだけでなく書くことができると

文章の奥が読めるような気がしている。

 

自分の解釈を交えながら書くこと

自分の主張を入れながから書くこと

書くことは怖いことだ

僕にとって

他と差がつくからね。

 

このままではいけない

なにか具体的な行動をしないといけない

そこでアレコレやってみて文章にいたった

こいつのやっかいなところは

脳がそのモードにならないと筆のすべりがよくならないということだ。

 

書いている内容も大したことないしね。

テーマとしても間に合ってない。

でも。

である。

とにかく書いて生きていくんだと決めたから。

駄作でもなんでも書いてやろうと思う次第。

書けるだけ書いてから編集作業に入ろう。

 

そゆこと。

メンヘラ遍歴

14歳:自分が「死ぬ存在」であることを知る

16歳:気合で高校受験をパスするも精神不安定になる

18歳:高校中退。高認をとり放送大学へ。

23歳:そうとうつの状態がよくなるがイキりすぎて初入院

26歳:病院敷設のパン工房ではたらく

28歳:パン工房契約満了。ぷーたろーになる

29歳:B就労へいく

30歳:B就労二年目

 

てな感じ

雨漏りする家

言葉にできないのは本当だろうか

自我が防御に回っているのだろうか。

明らかになるというのは負担がある

そして思い出はいつも優しい

 

現実社会は心に負荷がかかる。

正気をうしないそうになる。

だが。

と、ここで僕は自分にいい聞かせる。

もう自分で思うやりかたはすべてやりつくしたじゃないか。

それで結果がでなかったから

ここにいるんだろう?

ここは冷静になって心を鋼にして耐えるべきときなんだ。

 

そういうこと。

 

自分だけの都合で世界は動かない

それで助かっている面もあるだろうことは想像に難くない

要はどうやって世間と和解するかなんだ。

今の僕に必要なのは。

B就労をしながら。

自分を鋳造しなおさなくては。

 

そういう感じ。

書くモード

文章を書くときは、なんらかのモードに入っている。

言葉にしようとしてもなかなかできない。

今も言葉が足りてねぇなとも思う。

 

言葉にするには頭のモード変換を覚えることだ。

 

過去の記事でうまく書けているやつを読んでみたりね。

 

内容に沈潜すること。

どこまで伸びるかやってみること。

言葉を使うのは奥が深い。

どこまでいけるか。

これからこれから。

言葉を使うには

わかったふりをする

自分はどれだけ対象に没入できただろうか

世間が怖い

人が怖い

社会のルールから逸脱してしまうそうで

 

なにげなくながれていく町並み

僕はどこへ向かっているのだろう

 

だがもう歩みを止めることはしない。

止めるにはもう年を重ねすぎた。

 

なんとかしてこれからのことを考えよう

そこに一抹の光が指すなら

僕はどこにでもゆく

そうやって歩るき出す。

そう、求めていたもののすべては

そのときすべて持っていたとしても。

ぼーっとする

悩みに対処療法ばっかりは得策ではなかった。

悩みを横においてゆったりすることも必要だった。

 

今の僕が効果あるなと思ったのは、

ベッドに横になってただぼーっとすること。

今までの僕は悩みがあったら本や動画から答えらしきものをみつけて悩みにあてがう

というスタイルだった。

これも通用するっちゃ通用するねんけど、

有効期限がある。もともと自分から出てきた答えではないのでね。

手前味噌の答えが必要だ。

 

答えが自分で出せるようになるとだいぶメンタルがラクになる。

ぜんぶがぜんぶ答えを出せているわけではないが。

昔より幾分ラクにはなった。

 

他人の答えも参考にしつつ自分主体で答えを出す。

これがひとつのオレのセオリーになった。

 

これからこれから。

言葉にすると

どこまで届くか

どこまで伸びるか

 

大切に悩んでいたことはほぼ忘れて跡がすこし心に残るだけ

 

なんのために

あれほど身をやつして悩み答えを求めていたのだろう?

 

いまとなってはわからないことがたくさんある。

 

そのときはとても重要な悩みだった。

いつの間にか気にしない自分になっていた。

これはひとつの進歩である。

しかし、払った代価は大きい。

その計算式が目の前に出てこなくてよかった。

 

メンヘラやりはじめて16年になるんだけれど

ようやく一段落という感じ。

次は社会復帰編だ。

最初のステップはB就労。

次のステップはB就労で出勤日数を増やすこと。

 

これからこれから。