第三の審級が必要である。
またの名をフィードバックという
ツイキャスもちょっとやってみたりしたが
文章のようには蓄積しないからちょっと違う
いっぽうで、文章の有用性と必要性を感じてはいたのだが、いかんせん書くことに
体が慣れなくてなんのかんのと二の足をふんでいた
スピード信仰があったのである。
しかし、ススムヒラサワの音楽やインストの曲を聞いたりしながら
カタルシスの重要性と頭の中の整理は書くことでしかまとまらないということを再三認識したので
今日も書いている
はじめは、小さい日記帳に書き始めたのだが、
備忘録といういい言い訳のことばを見つけたので、今かいているのである
そう、もっと自由にやっていいんだよなと自分を説得したのである。
やっぱり大義名分は必要悪だよ。
なんてね。
とりあえず長い文章をかけるようにしていきたい
かきたいことを自由に書いていくこと
かきたい環境で書いていくこと
いきなりまとまった文章なんてかけやしない
それでいいんだと。
そう思っている。
結論づけるのも後回しにして
かきながらどこにいくかもわからない
それが、地味ながら自由なんだと
スケールの大きいことができるんだと
かんたんなカタルシスオブレトリックでは次の答えを求めてしまう
だから、その導出に命をのせていこうと思う
そういうことです。