死の問題

自分が死ぬことより家の雨漏りが漏電して火事にならないか?

ということのほうが怖い

どこかで自分が死ぬ存在であることを了解したのだと思う。

いつごろかはわからない。

せいぜいいっぱい悩んだあとだ。

自分が死ぬというのは究極の問題だった。

誰も解けないだろうとも思っていた。

だけど、今は自分が死ぬことに概念としては苦しんでいない。

なぜなんだぜ?

悩みが具体的になった

生活していくことの困難にフェーズが移った。

そういうこと。