確かにヴォイスメモでもいいけれど

やっぱり書いてみないと

垂直に頭にはいってこない

 

言葉は眼にみえないから、こうやってかくことで眼で再確認することができない

だから、話が散漫なままおわってしまうしそれほど生産的な話にもなりづらい。

ひとりごとでもチャリのっているとか、外だとか、イベントがないと話が展開していかないように思う

 

だから、ひとはひとりになったとき机にむかっってかくのだろう

最近は、なにを書けばいいのか、カテゴリわけの有用さとかもわかってきた

きわめていい傾向。

 

がんばりんす。

 

人事屋が書いた経理の本

人事屋が書いた経理の本

 

 

芋洗い場

イデアをだすために、イーグルトンからひくと、知りたいことがあるたびに書いてきたそうだ。

 

というわけで、こういうときに書いた、という内容がなくても、日時がわかれば、そういうときいクリエイティビティぼ発露があったとわかるだろう

 

そういうことだ。

家でできる仕入れ

移動書店というか移動屋台のようなものをしたいと考えている。

オリジナルTシャツとかエプロンとかもつっくったりして。

そういう場は潜在ニーズがあるだろうと睨んでいる

自分なりのショップという場をもつつよみ。

ネット社会だからとくに

 

そういうことだ。

家事にいきつく

アウターつまり祭壇をつくってみようとおもいたち

霊位をつくっていた場所を祭壇にかくあげ

けっこうたのしい

 

マーフィー巨富をえるもおもしろい

 

いろいろ家で遊びたくなって家事をきわめることにした。

具体的な生活の営みを大切にしていきたい

 

そういうことだ。

 

 

時間が貯まる 魔法の家事ノート

時間が貯まる 魔法の家事ノート

 

 

まるで壁当て

ツイッターで書くよりブログのほうが記憶に定着する

 

今日は、友達にあげるタバコを完全に用意したと思ったら、家に抜けていた。

いつもらなら悪い予兆かと思うところだが、なんとなく仕事は充実していたし、備品の補充とかもあった。

 

結論からいうと、いい経験のある全体運バクツキの日でごんした。

 

ありやとやす!

書くことは意図しなくても。

空白をあけることになる

書いたからなのか仕事中に使える脳内スペースが空いたような気が体感としてある

 

今日は、古着屋にいるときに

9/2のハズレ券宝くじの話を話題にしているひとがいた

宝くじの話を聞いたのは先月くじ運研究を開始したころからみるとはじめて

宝くじに縁ができたのだなと思う

最下等はかすっているかもしれないなと今からわくわくしている。

 

そういうことだ。