2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
~でなければならない ~であるべきだ 完璧主義ではななかったけど 完全主義ではあった。 そうやって先に理論を仕込んで実践するという方法だったのだけれど。 自分の発想からはじめることを覚えた。 まだまだ先はみえないけれど 答えを探すのを辞めたさきに…
ふだん何を考えていたらいいのか それはたぶん無意味だ。 深く考えたりしないものだ。 胸のもやもやを晴らしたくて 小林正観さんや清水義久さんの本をめくる。 違う。 なんか違う。 おれの求めいているものは何であり、どこへいこうとしているのか。 そこに…
昨日からミスチルをちびちび聞いている。 バックナンバーも好きなんだけれども 精神衛生的にはミスチルのほうがすっきりしますね。 バックナンバーのいじけた感じも好きだけど。
自分の中のネガティブな考えをどうするか考えている。 なかったことにすることはもうできない。 向き合うことが必要だろう。 なかなか骨がおれますな。
なにができるか 昨日の仕事はなんとか1日こなせた。 今日、明日と休み。 やれやれ。
仕事にいきたくない あああああ。 なぜかイヤだと思ってしまう。 ああああ。
明日は作業日。 それが終われば2日休み。 ぼちぼちいこう。 たぶんゆううつは抱えたままになるだろうけれど。
小6くらいから ブックオフの100円棚であさってた。 そこから今は18年たっている。 精神世界本との付き合い方を改める必要があるな。 読みっぱなしだけは避けたい。 こうやってブログに書くところまでいきたい。 今のマイブームは小林正観さん。 斎藤一人…
気がしている。 ゆううつになること それが長引くのは、思えば久しぶりだ。 精神構造を社会化させなくては。
作業のきついことは 作業がいくつかあって、過去にやったことないのを振られたりするとゲッソリしてしまう。 作業場にいかないとどの仕事かわからないからドキドキしてしまう。 1年半くらい作業しているけど未だになれない。 ぼちぼちいこう。
ガシガシ、ニューソートでいくのを卒業するときかもしれない。 小林正観流になるのか。 すぐには変更できないだろうけれど。 協力してもらってなにかをする。 それを学ぶときなのかもしれない。
メンタル病みの人で予後が良好な人はミスチルが好き。 これマメな。 遅れ馳せながら少し聞いている。 聞いたあとにさわやかになるのがいいね。
神さまの見方は私の味方 ―笑顔と元気の玉手箱シリーズ8 作者:小林 正観 メディア: 単行本(ソフトカバー) 小林正観さんの初期の作品を読んでいる。 ゆううつさが少し減った。 自力でリキみすぎなのかもしれないな。
ゆううつの解消は難しいのだろうか。 作業所にいけるだろうか。 そんなことを考えている。 ゆううつはゆううつのまま受け入れたほうがいいのだろうか。 まっさらな状態で仕事することは夢のまた夢なのだろうか?
ゆううつさが残っている そんななかで生活していかなくてはいけない。 ゆううつ。
を排していきたい なにが書けるかわからないが 今は、とても胃がいたい。 うつが身体にでるときは頭だったのだが、今は胃にでている。 ひとつの変化だ。
中身は決まっていない。 なにかに帰依したい気持ちを抑えている。
嫌なことをなかったことにするのが精神的に負荷が高いのかもしれない。 事実をつぶさにみて判断していかなくては。 精神的負荷になっている価値観はなにか洗いなおさなくては つまり、ニューソートからの卒業ってワケ。
オレの言葉で カラオケの上達を願う以上に文章の上達を願おう。 書けることはとても限られている 成長の速度もゆっくりだ 気長に構えないとな。 ナニから逃げているか? の ナニを言語化できていないのがストレス。 がんばろ。
書くことは考えを促進する まだうまく書けていないけれども それでも書くことを日常的習慣にしていきたい。 内容を持つ記事を書くには、ディティールまで読まないといけない。 それが今の僕には難しい。 要点とか都合の良いところだけをかいつまんで読んでい…
自分がなにをしたいのか それに近づくには何ができるか。 一発で解決したらどれだけいいだろう。 なまけものの私はそう考える。 ここではないどこかへ。 なりゆき任せできた。 でも、行き詰まりを感じている。 具体的に悩まないとな
これではない、ナニカを。 で、追い求める作業に熱中する。 聖杯はみつからない。 それを実感する。 絵に書いた餅でも餅は餅だ! と強弁する気力はもうない。 大人になってしまったからだ。 ほんとうの餅、生活資金などが必要になってくる。 そういうこと。
可能性が狭まっている そこへの危機感を少し持つようになった。 なにもできないけれど できることを ちっぽけでも探す努力をする。 自分ができるなにか それがみつかるのはいつかはわからない。 10年くらいかかりそうだ。 だけれども。 この道はオレの道。…
そもそも自己否定が強かった。 過去の過ちとか今でもひきずっているところがある。 この人生が生きるに値するのかを考えてしまう。 人生がすでに始まっていることを ようやく30にして実感している。 やれやれ。
死ぬことが怖かった。 今はそれほど怖くない。 それより家の雨漏りが漏電しないかとか 雨漏りが自分の部屋まで及ぶのではないかということのほうが怖い。 抽象的に悩んでたんだなと思う。 今は具体的な生活にストレスを感じている。 それも進歩なのだろうか…
本棚には答えを求める本ばかりがならんでいる。 だから、ベッドに横になってボーッとしている。 思うように物事が進まないから焦っているというか。 その障害はなにかとか、少しずつしか進んでいかない。 でも、丁寧に自分の心の畑を耕していきたい。
が難しい。 説明するのが苦手だ。 つーかーでわかってほしいと思う。 そうはいかん局面も多々ある。 なにができるだろう。
自分の万能感が毀損することを恐れて なんでもできる 願えば叶う。 ニューソートの徒だったから。 今のその影響は残っている。 最近よくわかったのだが、 ニューソートではシンドイ局面がほとんどだということ。 いらんことまで抱え込んでしまう。 その塩梅…
あれをやれば幸せになれる。 そういう青い鳥の心理。 満たされることのない心。 そういうのがあるな、と。
一足飛びでの成長はあやしい。 地道な行動の継続が最も遠くへいける道だ。 今はとても心もとない。 なにもできない気がする。 でも、そこをぐっと我慢する。 こころに問いかけてみる。 ロクな答えがでなくても。 ゆっくり進んでいくんだ。