雨漏りする家

言葉にできないのは本当だろうか

自我が防御に回っているのだろうか。

明らかになるというのは負担がある

そして思い出はいつも優しい

 

現実社会は心に負荷がかかる。

正気をうしないそうになる。

だが。

と、ここで僕は自分にいい聞かせる。

もう自分で思うやりかたはすべてやりつくしたじゃないか。

それで結果がでなかったから

ここにいるんだろう?

ここは冷静になって心を鋼にして耐えるべきときなんだ。

 

そういうこと。

 

自分だけの都合で世界は動かない

それで助かっている面もあるだろうことは想像に難くない

要はどうやって世間と和解するかなんだ。

今の僕に必要なのは。

B就労をしながら。

自分を鋳造しなおさなくては。

 

そういう感じ。