書いてみること

100%連投なんだけれども

 

三秋縋はその昔、エッセイを書いていた。ホームページでね。

今ももう消してあるようだが。

 

その語りくちの妙味を未だに覚えている。

その味を出したくて今書いているというのもある。

商品価値などないのだけれど

 

文学者になりたいとか小説家になりたいとかはアレなのだが

とりあえず自分のうやむやを解消するには文章に落とし込んで観るしかなくなったということ

その助太刀をしてくれるのが、村上春樹だということ。

それは唯一といってもいいんだけれど。

 

読もうと思う。

が、

書いたほうが早いなと思う

 

想念というのはやっかいなもので先に答えをみつけてしまう

具体的な力能はあとからしかやってこない。

鍛えてゆくほかない。

そういうことだ。

 

縋先生があげていた、国境とか、カンガルー日和とか読もうかなとも思うよね。

 

昨日は、ひさびさに隼雄先生を読んでいた

カウンセリング講話ね。

やっぱええわぁ。

隼雄先生。

もっと読まれてほしいと思う。

 

自分のものがたりを意図的にものにしていこうというとき、

それは自分なりの方法を見出さねばならない。

僕はいま岐路にたっている。

 

自己啓発のようなアイデアを外部からいれていくのではなく、自分から手をつくっていくこと。

人間関係を再確認していくこと。

シエスタをとること。

おせおせでは疲れるし、ムリもあるんだということ

 

現実的になっていく過程なんだろと思う。

 

それは誰も教えてくれることのなかったことだ。

納期ガン無視でいろいろやった副作用なんだけれどね。

ひとりでやったからひとりで解決していくしかない。

ただ、こうやって文章にしていくというアイデアはあるわけだし、

少し前は書きたくてもかけなかった。

書くのは僕にはおそすぎると思っていたからね。

今では、かける状態になっている。

 

まだまだ書ききれないけど、現実的な課題というものがある。

わかりやすいハデなものばっかりじゃないんだなと

そういうものでは生活は続いていかないんだということも学んだ

 

ありがたいことだ。